講和条約と国鉄

朝鮮戦争の勃発前夜

    占領軍の日本に対する政策は、復元を限度としており、積極的に復興を支援するというものではありませんでした。
     あくまでも、昭和の初め頃程度まで復興することを念頭においたものであり、過度の経済力が一点に集中しないようにすることが主たる目的とされたため、財閥解体や農地解放(これは戦前からも運動としてはあった)等が行われたことは周知のとおりであります。
     GHQは、インフレーションを抑制し経済を安定化させるため、ドッジ公使を迎え、収支均衡を保つ超縮小均衡予算を打ち出し、インフレは収束に向かっていったが、消費の抑制と産業資金供給の縮小は、体力の弱い中小企業を直撃し、安定恐慌をから失業者の増加による社会不安が増大されました。これにより失業者は昭和25年6月には43万人にもなりました。
     このときは、国鉄でも新車の導入などが大幅に抑制されたのは周知のとおりです。
     また、当初は日本の軍事産業を含む軍関係は全てを撤去する予定であったのが、次第にその様相が変化してきました。それは朝鮮戦争に代表される米ソの関係の悪化です。
     中国は、昭和24年10月蒋介石率いる国民党軍が毛沢東率いる紅軍に敗れ、社会主義国が誕生します、アメリカとしては、日本にその地理的条件などから戦略的価値を見出したのかもしれません。さらには昭和25年6月25日に突如勃発した朝鮮戦争は日本の進むべき方向を完全に180度転換させることとなりました。
      これにともない、GHQの政策は大きな変化を遂げていきます。すなわち、経済復興を大幅に認めアメリカの防波堤にすべき構想に変化したのです。具体的には、軍需施設関係工場の保存と重工業の復興を認めたことでした。また言論・集会の自由も抑圧されていきます。さらには、昭和25年7月、日本政府に警察予備隊の創設を指令するとともに、国内の政治労働運動に際しても共産党を中心に弾圧を行うなど共産党に対する態度も硬化させていきます。共産党幹部の一部が公職追放され、「アカハタ」や「前衛」が発行禁止処分され、さらには共産党系の組合の集合体であった、全労連への解散命令が出されました。
     マスコミ関係などでもレッドパージのあらしは吹き荒れていました、そして世間では講和の機運も高まっていったのですが、全ての国と講和条約を結ぶ、全面講和と、ソ連など講和に反対する国を後回しにする、片面講和で、国内世論が二つに分かれてしまいました。
     これは国鉄内部でも同じで、国労内で「全面講和派」と「片面講和」で分裂の危機を生むこととなりました。
    なお、この点はまた後ほど詳しくお話したいと思います。

朝鮮戦争と講和条約

    朝鮮戦争は、アメリカとソ連の代理戦争というか、資本主義VS社会主義(マルクスレーニン主義)の戦いとして、朝鮮半島を舞台に繰り広げられたことは皆さん良くご存知のこととは思いますが、先にも記しましたように日本の戦後を大きく軌道修正させるものとなりました、すなわち、終戦当初のGHQの方針は、日本には軍備を一切認めないで、また経済復興もそこそこにという程度にしておくという方針でありましたが、朝鮮戦争勃発後は、日本を防共の砦としての役割をを持たせることとなりました。(既に中国は革命が成功し、大陸は社会主義国家が成立していました。)、それが警察予備隊の創設であり、共産党の再度非合法組織としての弾圧などという形であらわれたのです。
      また、朝鮮戦争は国内において、朝鮮特需を発生させ、国内は活況を呈していきます。
      日本国内は、朝鮮戦争のアメリカ軍の前線基地としての役割を持つこととなり、物資の補給と輸送、兵器類の修理などが日本で行われることとなり、空前の朝鮮特需を受けるとともに、共産党の弾圧が実施されました。
     そんな中、 昭和26年1月、社会党(現・社民党)は大会を開き、左右両派の大論戦の後「講和三原則」を採択しました。
     「講和三原則」・・「全面講和」・「中立堅持」・「軍事基地反対」の方針でした。そして、それを受ける形で総評は同年3月の第2回大会で、「再軍備反対」を合わせた平和4原則を採択、政府が再軍備を進める中で、次第に左傾化していく総評の姿がありました。
     朝鮮戦争は、先にも記しましたように日本の世論を二分することとなり、あたかもこのためだけに革命が起こりかねない雰囲気であったことも事実でした。
      講和条約自体は、全面講和の声を無視して、昭和26年9月にサンフランシスコで対日講和会議が開催され、部分講和の条件のもと、講和条約と、日米安全保障条約が結ばれました。
      このときの会議には、中国は招かれず、ソ連、インドは調印しませんでした。
      講和条約は、11月18日日本の国会で批准され、昭和27年4月28日は批准書も交換されて発効、これにより日本は7年ぶりに自主独立を果たすこととなります。
      これに先立ち、悪評高かったRTO(民間輸送局)の廃止、進駐軍特別列車等の特殊列車化(条件付ではあるが日本人の乗車も可能)などがおこなわれましたが、まだまだ日本人が自由に旅行できるといった雰囲気ではありませんでした。
      なお、国内に目を向けてみると、経済の復興を最優先に(これは日本の望んだ道でもあり、アメリカも期待していた方向)した講和条約ですが、社会党(現・社民党)の中では、部分講和に賛成するものと、あくまで全面講和にこだわるもの。これにより社会党の中には社会党左派と社会党右派(これは後に分裂し、社会党右派は、旧民社党を結成します。)とに分裂する事態となりました。

講和発効に向けて動く政府と組合運動

    講和条約発効に向けて、政府は労働法規の改定や新しい治安体制を確立すべく行動に出ました。
      特に破壊活動防止法等は、その際たるものでありました。→関連法令 公安審査委員会設置法 公安調査庁設置法 衆議院のhpを参照しています。
      総評では、これら政府の動きに対抗すべく労働法規改悪反対闘争委員会(労闘、以下略す)が組織され、昭和27年には活発な活動が行われ、4月12日には、第一波の労闘が組織されました、これは最初の政治ストであり、従来の本来の労働運動としてのストとはその意味合いを異ならせるものでありました。その後公務員等のストには、こういったストライキが増えていきますので注目しておいてください。
      4月18日にも同様の第2派のストライキが実施されました。その後5月にはメーデーに参加した労働者と警官隊が衝突した血のメーデー事件が起こっています。
     その後政治的運動は影をひそめていき、炭労(炭鉱労働者)や、私鉄などから職場闘争が展開されて本来の労働運動の形が整えられていきました。

特需景気にわく国鉄

    朝鮮特需は、日本の経済を急速に復活させる効果をもたらせた、特需によって輸出は大幅に増加し、外貨保有高も昭和24年末の2億ドルから、昭和26年には9億4200万ドルへと大幅に急増し、荒廃した日本経済は急速に立ち直りを見せました。
     生産水準は、昭和25年には既に戦前のそれを上回りました、これに伴い交通機関も相当の輸送力が要求されました。
     旅客輸送についても、在日アメリカ人軍の朝鮮半島への出動開始とともに大量の兵力を短期間に輸送する任務が国鉄に課せられることとなり、国鉄は全力を傾注してこれにあたっりますが、これは国鉄始って以来の規模となり、太平洋戦争中の日本軍兵士の輸送量をはるかに上回るものでありました。
      貨物輸送は、朝鮮戦争勃発の翌日6月26日から弾薬輸送が開始されました、その後も火薬庫のある陸前山王・逗子などから瑞穂・筑前芦屋・小倉等への火薬輸送、赤羽からは戦車輸送が開始されるなど臨時貨物列車は日を追うごとに増加、第3鉄道司令部は国鉄に対し、ある程度形式を揃え指定の地区に貨車を集結させるように指令を発した。その対応の他に現地部隊から直接国鉄の現業機関に対して要求が出されるなど、個々勝手に割り込んでくることとなったため国鉄の輸送は一時期大混乱となりました。
      特に兵器・弾薬の出港駅であった横浜港や、物資積出の小倉・博多駅など、兵員出港駅の門司・佐世保駅などは収拾不可能なほどの混乱状態となりました。
      7月下旬になるとようやく落ち着きを見せ始め混乱は次第に収まっていくのですが、朝鮮戦争は中長期戦の様相を見せ始め、軍需輸送は恒常的なものとなっていきました。
     このため、国鉄では昭和25年10月1日にダイヤ改正を行い、貨物列車の輸送力増強を図るとともに「貨物輸送能率向上運動」を展開していきます。軍需輸送は、昭和27年の休戦交渉から漸次減少し昭和28年7月の休戦でようやく終了となりました。

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