気動車の全国展開と新形エンジンの開発 昭和30年代

国有鉄道私見、気動車の全国展開と新形エンジンの開発 昭和40年代

年代は前後しますが、理解しやすいと思って同じ項目で続けさせていただきます。

昭和35年にキハ60としてDD13に使われたエンジンを横置きに変更した試作車が作られましたが、排気に関して問題があった他振動等も大きくて実用的でないということで結果的には量産されることはありませんでした。

ただ、この時に開発されたディスクブレーキ(車輪の裏側にディスクを取り付けこれを押さえ込む方式)はキハ80(82)系のブレーキとして普及しました。

しかし、過給機などをつけて出力アップしたとはいえ180PSでは勾配区間を多く抱える山間部では2台エンジンが必須になりますし、エンジンの整備と言うのは当然のことながら、少ない方が効率は良いので大出力エンジンの開発が引き続きその重要性は言われていました。

そこで昭和38年国鉄とダイハツディーゼル、新潟鐵工所、神鋼造機の各社の共同開発で誕生したのがDMF15形機関で、DMH17と基本的な構造は一緒ですが、シリンダー径を10mm拡大したこと、2気筒減らして、ターボチャージャーを加えることでバランスと出力を増大させることに成功したそうです。

翌年には中間冷却器(インタークーラー)を搭載した、エンジンも試作されましたが。
このDMF15エンジンをベースにさらに12気筒にしたエンジンが開発され、こちらはDML30HS系エンジンとして特急車両キハ181系を中心に活躍するのですが、今回も試作車が製造されています。

昭和41年に製造された、キハ90(DMF15HSA)並びに、キハ91(DML30HSA)と呼ばれる形式で、最初試作車が2両誕生し、あらゆる試験が行われました。
その後、試作量産型を作って長期運用することとなり、キハ91形量産試作車7両と、付随車のデータ取得と、急行列車での一等車需要を考慮してキサロ90形3両が製作されました。

この車両はその後、量産試作車と呼ばれるものが製造されまして、外観はかなりキハ65に近いスタイルになりました。

確か「急行のりくら」用として昭和42年にキハ91形量産試作車7両と、特急形気動車製造の際に食堂車等の優等車を付随車とするためのデータ取得と、急行列車での一等車需要を考慮して、一等付随車であるキサロ90形3両がそれぞれ製造されたと記録されています。

その後は、キハ91をベースにキハ181系が開発されるとともに、急行用としては量産型としてキハ65が誕生することとなりました。
なお、キハ65は設計的には同時期に製造された12系客車とほぼ同一の設計で、2枚折戸の採用などは同じでしたが、トイレが省略されるなど一部異なるところもありました。

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