労働運動と国鉄【機関車労組誕生】

この章は、今後労働運動と国鉄と言う別ジャンルに移行することがあります

労働運動前史


    戦前にも労働組合は存在しましたが、労働組合の存在は非常に弱いものであり、使用者に対しては請願という形で行われるのが一般的でした。
     実際には戦前にあっても、ストライキなどを実行する会社もありましたが、ことごとく労働者の敗北に終わっていました。
     特に太平洋戦争(大東亜戦争)中は、全ての組織が翼賛会に再編されたこともあり、労働運動はひとまず姿を消します。
     鉄道においても、同様で鉄道及び連絡船航路は軍人に準ずるものとして、連絡船航路の従業員は一足先に海軍軍属に、またその他鉄道従業員も、陸軍軍属とされていきました。
     戦前の労働運動に関しては、資料も未だ十分ではないので今後の機会にしたいと思いますが、第1次大戦後から大正デモクラシーにも後押しされて、労働運動が活発化しました。

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戦後の労働運動


    戦後、労働運動は民主化の旗印の下、合法化されました。
     昭和20年12月には労働組合法(昭和24年6月施行)が公布され、(実際には昭和20年に制定された労働組合法を全部改正すると言う手続きを経て公布施行されました。)
     そこで、雨後のたけのこのように組合は結成、発展していきました、当初はGHQも民主化のためということで、日本共産党(以下「日共」と略す)の活動についても静観を決め込んでいきます。
     さて、ここで国鉄(当時は運輸省鉄道総局)の動きを見てみましょう。
     運輸当局は、戦争中に結成された国鉄奉公会が解散した後、鉄道委員会の組織化を開始しました、これはいわば御用組合のようなもので、労働基本権も保障されないもので、結局昭和20年12月には国鉄内部からの批判も強く、消えていきました。
     しかし、水面下では戦前からの日共の流れを汲むグループが国鉄従業員組合準備会を結成し組合結成を呼びかけました。これが後に国労と呼ばれる組合に発展していきます。
     この動きは、水面下、各現業機関(機関区・電車区等)の単位で結集が進み、やがて鉄道管理局単位で統合組織が出来上がるに連れて組合の全国組織化の機運も高まっていきました。

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国労の誕生


    統合組織への機運が高まった昭和21年、2月27日には北陸の片山津で「国鉄労働組合総連合会」の結成大会が開催され、同年3月15日、東京の飛行会館で第一回の国鉄総連合中央大会が開催されました。これが国労の前身となる国鉄総連合です。
     この大会で発表された組合員数は50万8,656人で、国鉄全従業員の96%に達しました。
     これは、省電闘争のために、全国鉄単一労組準備会が東京の地方協議会から除名されていたためです。

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ナショナルセンターの発足


    昭和21年8月全国には、単位労働組合を都道府県別に結集した、戦前の総同盟の流れを汲む日本労働組合総同盟(略称「総同盟」)、21の産業別単位労働組合連合組織として共産党の影響力の強い、全日本産業別労働組合会議(略称「産別会議」)が発足しました。
     政党的に見ると。「総同盟」が社会党(現・社民党)系、「産別会議」が共産党系という棲み分けとなっていました。
     そういったなか、戦時中に多くの人を採用した海員と国鉄では人員整理の方針が政府から発表されました。
     国鉄の場合戦時・戦後直後に受け入れた人員及び、復員兵等受け入れで膨れあがった人員を整理するため、約75,000人が対象となりました。
     当時の国鉄職員が約51万人ですから、いかに大量であったかとわかっていただけると思います。
     ただし、その内訳は戦時中に採用した女子職員や、年少者(戦時中は満14歳で国鉄に就職した人も多数居ました。)が対象でした。
     国鉄総連合は闘争委員会を組織し反対闘争を開始します。一部に反対はあったものの国鉄総連は9月15日ゼネストを予定、9月14日当局側が整理案を撤回すると言うことで妥結。この問題についてはひとまず終止符が打たれました。しかし、この問題はここで解決したわけではなく、当時のハイパーインフレの中、運賃収入に対する支出が1.7倍さらに、戦争で破壊された設備の復旧や連合軍専用列車の運転などの負担などで収支は全く取れていませんでした。
     当然、これがその後の大幅な人員整理の対象となっていくのですがこれは後にお話したいと思います。

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2・1ゼネストの中止


    戦前は、認められていなかった労働者の権利が労働組合法や、労働基本権を確立する労働基準法などが整備されるなかで労働組合運動は急速に発展しました。21年8月には、日本社会党系が中心となった、都道府県単位で結集した日本労働組合総同盟と、共産党が指導する21の産業別労働組合会議が発足したことは前述のとおりですが、その中で目立った行動をとっていたのは、共産党が運動の中心にあった産別会議です。産別会議は民間労組の賃上げや団体協約の締結等の要求を中心とする10月闘争を行いました。この戦いでは東芝を中心として行った電産労協が、電産型賃金と呼ばれる生活給を確保することに成功しています。
     この成功を受けて官公労組も10月闘争を組織していく事となりました。官公労で中心的存在だった国鉄総連合、全逓(現・JPUであるが。組織は全く別物と考えた方が良い。)、教職員組合等の諸組合は、全官公庁労組共同闘争委員会(以下、共闘委と略す)を結成しました。このときの委員長は国鉄総連合の伊井弥四郎でした。
     昭和22年年頭吉田首相は、ラジオの放送で「労働左派一部指導者を指して、「不逞の輩」と発言」、この発言が労働者の怒りを買うことなり、争議は賃金闘争から、政治闘争へと変容していきました。これを受けて社会党・共産党も内閣打倒の方針で組合の支援を決定。共闘委のゼネスト宣言拡大共闘委員会は、1月8日、2月1日午前零時に無期限スト突入と宣言しました。
     いわゆるゼネラルストライキと呼ばれるもので、官公労働者260万人を含む400万人と言う空前の規模のストとなるはずでした。1月22日、GHQ経済科学局マーカット少将は、「ストライキを実施しないよう警告。」理由は経済的要求でストを行うのは認めるが、政治的に結びつけることは認められず、占領目的に違反する行為であると言う理由からでした。しかし、共闘委はこれを勧告程度に受け止めていたためストの準備を進めていきました。
     1月30日になって、GHQは、口頭でゼネストの中止命令を発しましたが、これを拒否。さらに1月31日には再び文書で中止命令が出され、伊井共闘委員長はGHQの監視のもと、スト中止の全国放送を行い、「1歩前進、2歩後退」の名言を残し、ストはあっけなく中止となりました。
     このストの挫折は、労働運動にとっても大きな転機となりましたが、これによる成果も大きいものがありましたがこれについては項目を改めたいと思います。

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2・1ストが残したもの


    2・1ストは、GHQの圧力で中止されたが、その結果は労働運動の再編という形で実現されました。 3月10日には、総同盟・産別会議・国鉄総連合など28組織、446万人が参加した、全国労働連絡協議会(全労連)が結成された、これは当時の組織労働者の84%を包含するものでした。
     ただし、全労連の運動は、運営において、全員一致制などの制約から運動体としての役割は十分ではりませんでしたが、二つのナショナルセンター(「総同盟」、「産別会議」)を含む、組織労働者が単一組織に統一できたことの意義はきわめて大きかったといえます。
     ただし、総同盟は昭和23年6月には全労連を脱退しています。
    また、2・1ストは賃金面でも大きな成果をあげることとなりました、それは大幅な賃上げに成功したことです。 1月の交渉時に、官公労働者の平均賃金600円に対し、5月には一挙に3倍弱の1600円という大幅賃金を獲得しました。
    また、国労、全逓などは組合側に有利な包括的団体協約などを勝ち取りました。(ただし、この包括的団体協約がその後の組合運動の微妙な影響を及ぼしていくことになるので注目していただきたいと思います。)
      このように、当初は純粋に賃上げ闘争等、食べること、生きることから始まった労働運動は、共産党の思惑、GHQの思惑を絡ませながら次第に左傾的、政治的な色合いを帯びていくのですが、これはまた後ほど章を改めて

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