はじめに

■こちらのサイトでは、国鉄時代に起こった事件事故を、年代別に分類しています。国鉄時代を中心に、
明治時代、大正時代、JR発足後に分類しております。 この節では、昭和20年8月15日を境として、戦後と呼ばれる時代から、国鉄の終焉、昭和62年3月までを扱っています。

日本国有鉄道誕生

昭和24年、運輸省(旧鉄道省)はGHQの指令により、国有鉄道(Public corporation(公社))として再出発することになりました。
日本には、公社と呼ばれる概念がありませんでしたので、そのスタートには混乱をきたしたそうです。
特に国鉄発足当初は、政府としては出資金を出したきりで後はそのままであったこともあり、国鉄としては運賃・賃上げと言う部分を政府に抑えられたまま、政府の一員として国鉄は時の政府に翻弄されていくことになりました。
昭和39年には、単独で新幹線(東海道新幹線)を開業させましたが、皮肉にも39年以降、国鉄は一度も黒字になることなく昭和62年には分割民営化されることとなりました。
年度ごとに時系列的に並べてあるのでどうかよろしくお願いいたします。
昭和20年7月〜昭和62年3月末まで
昭和20年後半終戦から復興までの道のり
昭和21年代前半国鉄労働組合総連合会の誕生
昭和21年代後半GHQによる進駐軍列車と、復員列車
昭和22年代前半 国鉄、石炭不足で急行を全廃
昭和22年代後半東京の国電に婦人子供専用車が登場
昭和23年代前半国鉄に独立採算制の採用を答申
昭和23年代後半全国時刻改正。急行列車の速度低下。準急列車増発
昭和24年代前半東神奈川車掌区・電車区両分会は組合管理の「人民電車」を運行
昭和24年代後半定員法と下山事件
昭和25年代前半東海道線 特急「つばめ」誕生
昭和25年代後半時刻大改正。急行列車を増発,速度向上
昭和26年代前半鶴見操車場にカーリターダーを新設
昭和26年代後半東京の国電に婦人子供専用車登場
昭和27年代前半講和条約発効と国鉄
昭和27年代後半日本初、列車電話の公開テスト
昭和28年代前半吹田操車場、上りハンプにカーリターダー設置
昭和28年代後半青函航路機雷発見により夜間運航再中止
昭和29年代前半国鉄営業線2万kmを突破
昭和29年代後半EH10形が東芝府中工場で完成
昭和30年代前半全国117ヶ所を周遊指定地として普通周遊券発売
昭和30年代後半一等寝台車を廃止
昭和31年代前半輸送力増強時代
昭和31年代後半東海道本線全線電化完成
昭和32年代前半鉄道技術研究所「超特急列車・東京〜大阪間3時間運転の可能性」発表
昭和32年代後半101系試作電車10両編成落成
昭和33年代前半幹線調査会第一分科会、東海道本線増強策について「広軌別線」を採択
昭和33年代後半特急こだま 走るホテル寝台特急あさかぜ、誕生
昭和34年代前半高等海難審判庁、洞爺丸事故は国鉄の過失と裁決
昭和34年代後半都の交通事故防止対策本部、東京オリンピックまでに路面電車を廃止決定
昭和35年代前半東北特急に特急気動車導入正式決定と新聞に
昭和35年代後半3等級制から、1.2等級制へ
昭和36年代前半国鉄世界銀行と8000万ドルの借款契約に調印
昭和36年代後半サン・ロク・トオ 特急大増発
昭和37年代前半小田原市内の鴨宮モデル線区で新幹線旅客用電車の試運転を開始
昭和37年代後半新幹線モデル線区で、自動列車制御装置(ATC)試験開始
昭和38年代前半新幹線試作車、最高速度243km/hを記録
昭和38年代後半東海道新幹線開業前の最後のダイヤ改正
昭和39年代前半国鉄、座席自動予約装置(マルス101)の運用を開始
昭和39年代後半夢の東海道新幹線誕生
昭和40年代前半新幹線によるテレビ障害に国鉄負担金
昭和40年代後半東海道本線山下臨港線 横浜港〜山下埠頭間、2.1kmが開通
昭和41年代前半国鉄輸送費削減のため、特殊専用列車の試作と高速貨物列車の運転を計画
昭和41年代後半国鉄、山陽新幹線建設部を本社に設置
昭和42年代前半上野駅改良工事起工式挙行
昭和42年代後半世界初の寝台電車誕生 寝台電車月光誕生
昭和43年代前半神戸高速鉄道軌道工事完成
昭和43年代後半全国白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ
昭和44年代前半国鉄「パイプライン調査委員会」設置
昭和44年代後半国鉄常務会で、大井貨物ターミナル・新幹線電留線工事着手を決定
昭和45年代前半日本万国博覧会開幕
昭和45年代後半DISCOVER JAPANキャンペーン開始
昭和46年代前半全国新幹線鉄道整備法に基づき東北・上越・成田三新幹線の基本計画決定
昭和46年代後半京阪電気鉄道特急用3000系使用(日本最初のカラーテレビつき)
昭和47年代前半東北・九州新幹線などの調査費計上
昭和47年代後半山陽新幹線岡山開業
昭和48年代前半国労・動労、、スト権奪還を要求し順法闘争を開始
昭和48年代後半国鉄では全国2万569人の署名を受け小海線でC56の運転を再開
昭和49年代前半新幹線最高の輸送人員を記録
昭和49年代後半新宿・渋谷など国電五駅で禁煙タイム実施 午前8時〜9時の1時間
昭和50年代前半山陽新幹線博多開業
昭和50年代後半動労ダイヤSL廃止にともなう動力車基地統合反対闘争で,ダイヤ改正が延期
昭和51年代前半寝台特急「つるぎ」20系から24系25型に置換え捻出された20系が銀河に転用
昭和51年代後半日経調が「国鉄貨物整理を」と 提言
昭和52年代前半青函連絡船にシンボルマーク登場
昭和52年代後半福田赳夫首相は東北・上越新幹線の大宮暫定開業を示唆。国鉄は難色
昭和53年代前半 政府の公共企業体等基本間題会議 国鉄ローカル線と幹線を切り離して、複数の特殊会社とする案の報告書提出
昭和53年代後半東京発着の、ブルートレイン「いなば・紀伊」を除き、EF65-1000番代に変更
昭和54年代前半運輸省赤字線対策のモデルとし大村線・長崎本線長与ルートを民間移管の方針
昭和54年代後半ミステリー列車〈銀河鉄道999〉のキップに4万人 公開抽選
昭和55年代前半「いい旅チャレンジ20000km」キャンペーン開始
昭和55年代後半北海道鉄道100年記念行事で,手宮駅構内でく義経〉と〈しづか〉が対面
昭和56年代前半東海道新幹線、16億人輸送達成
昭和56年代後半国鉄山手線(全線)京浜東北線大宮〜蒲田間でATC設備完成
昭和57年代前半東北新幹線大宮〜盛岡間レール締結式
昭和57年代後半国鉄浮上式鉄道実験センター、有人リニア内部を報道関係者初公開
昭和58年代前半新幹線定期券「フレックス」発売開始
昭和58年代後半白糠線廃止正式決定 第1次廃止対象線区の町営バス転換第1号
昭和59年代前半貨物輸送の大変革、ヤード系輸送全廃
昭和59年代後半ジョイフルトレイン、東西で相次いで誕生
昭和60年代前半戦後レジュームからの脱却
昭和60年代後半戦後レジュームからの脱却
昭和61年代前半国鉄も積極的商法大流行
昭和61年代後半国鉄最後のダイヤ改正
昭和62年代前半国鉄からJRへ

年表(他の年代)

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